阪神・淡路大震災から17年

今日(2012年1月17日)で阪神・淡路大震災から17年になります。

震災当時、京都にいた時のことを思い出しながら書いてみます。

1995年、僕は京都の立命館大学の3回生でした。うちの大学は後期の試験を年明けの1月~2月初旬にかけて行っていたので、そのときも試験シーズンまっただ中でした。震災当日も試験があったため、前日の夜遅くまで勉強をし熟睡しているときに地震はおこりました。

書き進める前に、その当時住んでいたアパートのことを先に書いておいた方がいいかな。そのとき住んでいたのは木造2階建ての寮の1階に住んでいました。家賃は1万6千円だったいえば、どういう住まいだったかは簡単に想像できると思います。マンガ「めぞん一刻」をイメージしてもらえればいいかな。さらに京都の1月です。背筋を貫くような寒さの中での出来事でした。

最初の揺れはたいして大きくもなかったので「地震か。」という感じで布団の中で目を覚ましました。そのうち揺れが大きくなり、最終的には経験したことのないような大きな揺れになっていました。沖縄県民の僕にとって、その揺れが今まで生きてきた中で最も大きな揺れでした。さらに揺れている時間が長い。ゆっさゆっさと大きくながーく揺れてて怖さを感じましたが21歳の若者にとっては「怖さ」よりも「寒さ」と「眠気」が勝り布団から出る気にはなれませんでした。そのうち揺れも収まり夢の中へ。

それから2時間後、朝一の試験に間に合わせるため最寄の駅に向かいました。(立命の一部の学部は95年から滋賀の草津キャンパスに移動しました。僕はそこに京都から通っていたので電車通学なわけです)友人と駅で落ち合い電車に乗ろうと思ったのですが、地震の影響で動いていないらしい。あまり時間もないので、とりあえず京都駅まで行ってみようということになりタクシーで向かったが京都駅でも電車は動いていない。まわりのサラリーマンや駅員の態度をみて、どうやら大事になっているらしいということに気づきました。

京都駅で大学に電話をすると、「本日の試験はすべて延期になった」との事。とりあえず実家に電話をいれ無事を伝えた後、友達と2人で僕の部屋に戻りテレビで状況を確認することにしました。そのあとはみなさんが目にしたものと同じです。ビルが倒れ火災が発生し道路が崩壊。すぐ近くの出来事なのに、まるで映画を見ているような感覚でした。

幸いにも学部の友人やサークルの先輩・後輩に死傷者はいませんでしたが、学部の友人宅が半壊したらしく住むには危険なため滋賀かどこか(忘れました)の親戚宅へ引っ越したそうです。後日、掲示板に掲載されていた学生の死亡者を見てとても悲しくなったのを覚えています。

地震の報道も少し収まりかけた3月。僕は沖縄に帰省するために飛行機の中にいました。窓の外を眺めているとブルーシートがちらほらと見えます。まだ天井を直せない家がこんなにあるんだな、と改めて地震の大きさを気づかされました。